スクスクソダテ(第1話)


てなわけで、今日から5回連続で『スクスクソダテ』という話を小説形式で書いていきます。自信はまったくありませんが、何卒お付き合いくださいませ。

* * * * * * * * * *


「春休みに自転車で甲子園まで行かへん?」

小学校四年生のときだった。
友人のFはこともなげに私を誘ってきた。甲子園!私とFはそれまでも野球の話で何度か盛り上がったことがあったから、行き先には驚かない。
しかし当時神戸市東部の、とある街にに住んでいた私にとって、自転車で甲子園、というのは、どのくらい時間がかかるか見当もつかないほどの長距離だった。
だが私は、この誘いを二つ返事で賛同する。その理由は「自転車で」という部分に惹かれたからに他ならない。

私はずっと自転車に乗れなかった。
もちろん図抜けて運動神経が鈍いことも理由にあったが、それ以上に自転車というものに興味がなかったのだ。自転車なんて子供の乗り物じゃないか。そんなん自慢にならんやろ、と開き直れたのには訳がある。
なぜか神戸のおとなは自転車には乗らない。坂が多いという理屈からなのか、とにかく神戸に住んでいて自転車に乗っているおとなを見たことがなかった。だから自然と「自転車=子供の乗り物」という刷り込みができてしまったのだ。
まぁこのケッタイな刷り込みは、のちに大阪へ移り住んで覆されることになるのだが。

自転車に乗れるようになることを勧めてくれたのもFだった。
きっと彼は私と行動するとき、歩いての行動がかったるかったのだろう。もちろんそんなことはおくびにも出さずに、私に自転車の乗り方の指導をしてくれた。

うちには補助輪のついた、16型の小学校低学年用の小さい自転車しかなかったが、家族の誰も自転車に乗らないのだから、そんなものだろう。とにかくまずその小さい自転車の補助輪を外すところから練習は始まった。
練習は困難を極めた。どうしてもうまく前に進めない。2、3mヨタヨタと動いては転けるの繰り返し。何度もいうが、私の運動神経の悪さは折り紙付きだ。そういう過度の自信のなさも手伝って、何日練習しても、一向に乗れるようになる気配は見えてこなかった。が、Fはずっとどんくさい私の練習に付き合ってくれた。

突然、といった感じでその瞬間はきた。
ある日突然、私を乗せた自転車は前へと進み出した。理由はわからない。とにかく私は自転車に乗ることができた。その事実だけがそこにはあった。
うれしかった。それまでのどんな出来事よりもうれしかった。あまりの喜びに、意味もなく細い路地を、何度も何度も、往復した。挙げ句、母親まで呼び出して、得意げに自分の雄姿をみせつけた。雄姿でもなんでもないが、それぐらい誇らしいことに感じたのだ。
思えば、母親にたいしてあれだけ得意げになったのは、最初で最後だったかもしれない。

Fも我が事のように喜んでくれた。私はどこに行くのにも自転車で行くことを好んだが、彼は笑ってつきあってくれた。なにしろ神戸は坂が多い。行きはよいよい 帰りは怖い、ではないが、遠出したときなどクタクタになった身体で自転車を押して帰るなんてこともザラであった。
でもそんなことすら楽しくてしかたない、といった様子の私をみていたFだからこそ「自転車で甲子園に行く」なんてとんでもないことを考えついたのだろう。



明日から五年生、という前日、その途方もない計画は実行された。朝9時に集合したFと私は、桜が舞い散る中、甲子園へとペダルを漕ぎはじめたのである。

私の住んでいた街から、阪神甲子園球場までの距離は約12kmある。自転車だから、時速10kmで走っても一時間ちょっとでつきそうなものだが、私の自転車は補助輪が標準装備されているような16型のものだ。漕いでも漕いでもなかなか前に進まない。
それでも気持ち良かった。今から何時間もの間、自転車に乗っていられる!その喜びがいっそう気分を高揚させていった。

「色紙、持ってきた?」
「あたりまえや」
「ペンは?」
「大丈夫、ちゃんと持ってきてるて!」

自転車に乗りながらのFとの会話も、いつも以上に楽しかった。ただ持ち物の確認をしているだけなのに。

国道43号線は片側4車線、計8車線の広い道路の上を阪神高速が走るという、神戸と大阪をつなぐ大動脈だ。そんな大きな道路のおまけのような歩道を、2台の自転車は東へと向かう。ゴーウエストじゃない。ゴーイーストだ。東へ東へ、打出を越え、西宮戎を越える。一切止まらない。止まる必要がない。目的地は甲子園だ。

「あ、阪神百貨店や!」

Fが叫んだ。実際はそこには阪神百貨店はなく、ただの看板にすぎなかったのだが、その看板のあるビルを越えると、阪神高速の隙間から、銀傘の一部と緑のツタが目に飛び込んできた。

「あ!あ、あれ!あれ見てん!」
「甲子園やー!」
「着いた!着いた!」

前に進まないはずの自転車は、甲子園の姿を見た瞬間から、おそろしく加速しているかのようだった。とにかく早く着きたい。甲子園に着きたい。しんどいからではない。生まれてはじめて、自分たちで大それた計画を立てて、それが叶おうとしているのだ。

午前11時すぎ、私とFはついに漕ぐことを止めた。目の前にある大きな壁面、そこにはたしかに『阪神甲子園球場』とあった。

つづく

comments (0)
スクスクソダテ(第2話)


阪神甲子園球場は兵庫県西宮市にある。大正13年、甲と子が60年ぶりに出会うという由来から甲子園と名付けられたその球場は、他のどの球場にもない「重み」を持っている。
私が初めてこの球場に足を踏み入れたのは昭和51年のことだ。ゲートをくぐって、暗い通路を抜けた先にあるカクテル光線、その瞬間は今もって脳裏に焼き付いている。

しかしおとなに連れられるわけでなく、子供だけで威風堂々としか表現しようがないその球場の前に立ったのは、この時がはじめてだった。何度か親の先導できた時よりも何倍もの大きさに感じる。子供ながらに、あまりの迫力に私は震え上がった。

立ちすくむ私にFは「球場一周してみようや。誰か選手おるかも知れんで」といった。

その日は移動日に当てられており、阪神の選手が練習している可能性はあった。しかし球場を二周してみたものの、阪神の選手の影も形ない。
やけくそになったFと私は
「江川出てこい!」
「ボケ!!」
とわめき散らした。
次の日より、巨人との三連戦が組まれていたからだが、江川がいるわけがなかった。なぜなら江川は6月まで一軍の公式戦に出場できないからだ。

『空白の一日』とよばれる江川というドラフト候補選手にまつわる事件は、今ではプロ野球に政治が介入したケースとして語られることが多いが、この時点では、江川という悪役の誕生にプロ野球界が沸き立った。そしてまるで「正義のヒーロー」のような形で小林繁が阪神にトレードされたことも、阪神ファンを興奮させる要因になっていた。

「阪神の選手、おらんやん」
「せめて江川がおったらなぁ。シバいたるのに」

私たちは一気にやることがなくなった。甲子園にきただけで選手に会えると思う方が甘いのだが、幸運にも私はそれまでも何度か出待ちに成功し、サインを貰っている。しかも前年には阪神電車でラインバック外野手と乗り合わせるという事態にも遭遇している。
甲子園に行けば、選手に会える。そう思い込んでやってきた。でも選手なんかいやしない。

「せっかく色紙持ってきたのになぁ」

Fは色紙の入ったリュックサックをパンと叩いてみせた。

私はある事を思い出した。たしか甲子園の向かい側に虎風荘という独身選手専用の寮がある。もしかしたら、あそこに行けば、選手に会えるかもしれない・・・

「おいっ!虎風荘に行こ!!」
「虎風荘?」
「ええから行こ!選手に会えるかも知れんで!!」

虎風荘は現在、鳴尾浜球場に併設されているが、当時は甲子園球場から歩いて一分、道一本隔てた東側に建っていた。もうこの時点で、甲子園ほどではないが、時間がくれた迫力をかもしだしていた。いやたんに古くさいだけなのか。
しかし「ここに選手がいる!」と思うだけで、門の前で私たちの足はすくんだ。しかも警備員が私たちの方を見ている。

「おい、怒られそうやな」

Fは気弱な声を出した。一方私は、その視線に怯えて声すらだせない。
かといって、このまま帰りたくない。せっかく甲子園まできたんじゃないか。しかも自転車で、自分の力だけでここまできたんじゃないか。

「もうええやん。帰ろ」

私はFに同意しつつも、もう少しだけ粘ることを主張した。門の外からは中庭がみえ、中庭のまわりの廊下はガラス戸になっていて、中が見える。その廊下を選手が通るかもしれない。
せめて、中にいる選手を、ひとりでもいい。この目で見てみたい。
もしひとりでも確認できれば、それで自分を納得させる準備をしていた。

その時だった。中から大きな身体の男が姿を現した。

「あかん、もう完全に怒られる・・・」

私も観念した。あいかわらず警備員はこっちをじっと見ている。しかも中からは、いかにもいかつい雰囲気を漂わせた男がこっちを伺っている。

いや、まてよ。あれは阪神の選手なんじゃないか。そう、前の年、横浜球場での試合で、守備固めにでていって、外野フライを見失った、あの選手じゃないか!!

「おうっ!君ら、何や!?」

間違いない!ガラス戸を開けて近寄ってくる男、彼は川藤幸三外野手だった。

つづく

comments (0)
スクスクソダテ(第3話)


ゆっくり、その巨体は私たちの方に近づいてくる。それまでも掛布やラインバックを目前でみたことがある私も、その異様な迫力に思わず息をのんだ。

「なんや、君ら」

私はおそるおそる色紙とマジックを彼に差し出した。

「なんちゅうねん。名前」

次の瞬間「○○くんへ 川藤幸三 4」と色紙にマジックを走らせた。
続いてFも色紙を差し出す。するとふたたび川藤はサインをはじめた。

「君ら、どっからきたんや」

川藤幸三は1949年7月生まれだから、このときはまだ20代ということになる。しかし明日から小学五年生になる私たちには、えらくオッサンに見えた。はっきりいうと、とてつもなく怖かった。もちろん見た目の問題である。

「神戸かぁ。お父さんとお母さんは?」
「い、いえ、ボクら、2人だけで、自転車できました」

すると川藤は素っ頓狂な声で

「君らちょっと待っとれ」

そういい残すと、寮の中に消えていった。

「な、なんやろ。お菓子でもくれるんかな」
「アホか!寮にお菓子なんかあるわけないやろ・・・」

Fと私は顔を見合わせた。

「おい、もしかしたら家出やゆうことで、通報されるんちゃうか・・・」
「手錠とか、されるんかなぁ」

可能性は十分すぎるほどあった。手錠とまでいかなくても、子供だけでこんな遠い場所に来ているのだ。しかも私は、この馬鹿な計画を親には一言もいってなかった。パトカーに乗せられて帰宅でもしようものなら、いったいどんなに叱られるか・・・
逃げたかった。おそらくFもおなじ心境だったと思う。しかし川藤の「待っとれ」という言葉に逆らうことはできない。気の弱い私にとって、あんな図体のデカいオッサンの言葉は絶対に感じられた。

どうすることもできない中、はてしなく不安な面持ちで、私たちは川藤を待ち続けた。時間にして5分もなかったのかもしれない。しかし驚くほどその時間は長く感じられた。
なんだか寮の中が騒がしくなってきた。門の外からでは様子は覗えない。

「あの子らや!」

川藤の声が響いた。すると中から次から次へとジャージを着た男たちがでてくる。中にはまだ眠気まなこの人もいる。全員名前も知らない若手選手ばかりのようだ。

「君ら、色紙まだあるか?」

Fも私も2枚ずつ用意してきた。残りは一枚だ。

名前も知らないような選手が代わるがわる私たちの前にやってくる。そして一枚しかない色紙に小さくサインをしてくれている。

「この子らはな、自転車で神戸から来たんや。お前ら、こういうファンを大事にせんでどないすんねん!」

川藤は若手選手をどやしつけている。

信じられなかった。目の前でおこなわれている光景を、どうしても信じることができなかった。ただただ成り行きに身をまかせるしかなかった。

最後のひとりがサインを書き終えた。

「あ、ありがとうございました・・・」

消え入りそうな声で礼をいうと、川藤は「これからも阪神を応援してくれよ!」と言い残し、若手をともなって寮の中に消えていった。


ツタで覆われた壁面に背中をくっつけて、Fと私はしゃがみこんだ。
2人ともあまりの事態に声を失っていた。どれぐらいそんな状況が続いただろう。
少し、ほんの少し自我を取り戻した時、Fはこうつぶやいた。

「帰ろか」

2人は自転車を駐めた場所に向かって、ゆっくりと歩き出した。

つづく

comments (0)
スクスクソダテ(第5話・最終回)


新学期がはじまった。私は小学五年生になった。

Fとは別々のクラスになり、ほとんど会話をかわすことはなくなった。こだわっているとかそういうのではなく、新しいクラスで新しい友人ができたこともあって、「Fとのことは、もうええやん」という気持ちだった。

自転車で甲子園に行った。しかも小学生にとっては十分ドラマチックな出来事を体験した。にもかかわらず、新しい友人にもその話をすることはなかった。たぶんFにたいする遠慮があったのだろう。
そんな事情もあってか、次第にこの出来事、そして川藤にたいする特別な思いも消えていったように思う。


誤解のないようにいうと、この時点での川藤は「代打の切り札」でも「浪速の春団冶」でもなく、代走・守備要員だった。ただ年齢的にもトウがたち、売りである走も守も衰えが見え隠れする、いわばいつクビになってもおかしくない瀬戸際の存在だった。

そんなあまり試合にでることもない選手を「応援せなアカン」といわれたところで、応援しようがなかった。その結果、私の中から「あの日の川藤」は完全に消えた。


月日は流れた。ときは1985年。巨人とのヤジ合戦で「優勝できないタイガース!」をオチのフレーズに使われていた阪神に21年ぶりに優勝、というチャンスが巡ってきた。

私は高校生になっていた。
たった6年で、こどもはおとなの身長に近づいていた。

が、変わったのは私だけではない。
私が出会った翌年あたりから、川藤は代打に活路を見いだし、やがて「代打・川藤」のコールで甲子園が沸き返る、そんな独特の存在感のある選手に変貌していた。
前々年のオフには、一度はクビを宣告されながらも、「給料ゼロでもええからチームにおいてくれ」という名セリフを吐き、マスコミは彼を「浪花の春団冶」とたたえるようになっていく。

私はおかしかった。もともと桂春団冶は浪花の人間だ。「甲子園の春団冶」ならまだしも「浪花の春団冶」ってそのままやん!しかも川藤って福井出身やし、と心の中で突っ込まずにはいられなかった。つまり自分の中で、その程度の認識の選手でしかなかったのだ。

運命の日、10月16日がやってきた。

場所は神宮球場。二転三転する好ゲームは、9回代打・佐野の犠牲フライで阪神が同点に追いついた。
引き分けでも優勝が決まる、最後のマウンドには、この年大きな飛躍を果たした抑えの切り札、中西が上がっていた。
2アウト。ついに、あの阪神が優勝する!しかしテレビの前にかじりついていた私はどうすればいいのかわからなかった。なにしろ優勝なんてはじめての経験だ。喜び方がわからない。

最後のバッターはピッチャーゴロだった。中西から守備固めに入った渡真利のミットにボールが吸い込まれた瞬間、阪神タイガース21年ぶりの優勝が決まった。
「やったーっ!!」
とりあえず、なかば無理矢理といった感じで、声をあげてガッツポーズをしてみたものの、なんだか実感がなさすぎて、感慨のようなものはまるで沸いてこない。なんだ、優勝って、こんな程度のものなのか・・・。

マウンド上に輪ができる。やがて吉田監督の胴上げが始まった。優勝から遠ざかっていたチームらしいというか、初々しい、なんとも様にならない胴上げ。吉田監督はくるくる回転しながら宙を舞った。
吉田監督の胴上げが終わると次は掛布だ。掛布ははじめて上り詰める課程を見てきた選手だから、少し感慨が沸いてくる。が、次の瞬間、とんでもないことが起こった。
掛布の次に指名されたのは、あの、川藤だった。照れ笑いを浮かべた川藤が宙を舞う。

私の頭に、なぜかあの日のことが、フラッシュバックしていく。

自分からすすんでこどもの前に現れ、若手選手に無理矢理サインを書かせる、図体のデカい、いかついオッサンのことが。

「これからも阪神を応援してくれよ!」

あの声がよみがえった。あの川藤が、今、ブラウン管の向こうで胴上げをされている・・・。
たった数秒前まで、自分でも信じられないぐらい醒めていた「優勝」という現実。
しかし、もう違う。だんだん画面が見えなくなってきた。嗚咽しかでてこない。

私は無意識に、あの日の、トータルでみれば過酷ともいえる一日を、ずっと頭の中で封印してきたことに気づいた。記憶から消えていったのではなく、記憶に鍵をかけていたのだ。その鍵は、自転車の鍵とおなじく二度とでてくることはないはずだった。
しかし川藤の胴上げが不意に鍵を開けた。記憶がよみがえる。そして心の中に秘めていた思いが噴出した。
ずっと川藤という選手が好きだったんだ。私はずっと川藤を応援してきたのだ!そう確認すると、ふたたび嗚咽が止まらなくなってしまった。

吉田監督のインタビューが終わる頃、私の嗚咽はおさまってきた。
が、川藤ともうひとり、あの日の出来事を私にもたらしてくれた、Fのことを思い出していた。
あの日以来、一切交友のなくなったF。あいつ、今おなじチャンネルみてるかな。そして川藤の胴上げをみて、なんて思ってるんだろう。

私は親子三代、生粋の神戸っ子といっていい。しかしすくすく、育ったのか、私は。いや私とFは。それはいまだにわかっていない。

* * * * * * * * * *


【あとがき、のようなもの】

とにかく不安で不安で、何が一番不安だったかといえば「本当に小説風の文章になるのか」ということでした。アタシは文章を書く事は好きなんですが、ついぞ今まで小説だけは書いたことがなく、でもいつも通りの文体だと、このエピソードの根っこが伝わらない、という理由から思い切って挑戦してみました。
この話の大半は実際にあったことです。どことどこにフィクションが混ざっているかの判断は読んで頂いた方にまかせるとして、しかし川藤選手に関してはほぼ事実です。

川藤は阪神ファンの間でも好き嫌いが分かれるようで、よく辛辣な意見を耳にします。しかし今回の話を読んでもらえれば、アタシが川藤が好きな理由がわかってもらえるのではないかと思っています。

そしてひとつだけ正しておきたいことがあります。
どうもイメージだけで「川藤の解説は根性論ばっかり」といわれますが、よくきいてください。この人は意外なほど「根性」とか「気合い」とかという言葉をを使いません。
なぜなら本人が一番「根性」や「気合い」ではどうしようもないことがわかっているからなんでしょう。

あと

Fくん、もしこの文章を読んでいたならぜひ連絡ください。アタシはあなたにどうしてもあやまりたいのです。

最後に、長い長い駄文を読んでくださってありがとうございました。次回からいつも通りのヤキウノウワゴトに戻りますので安心してください。ではでは

comments (2)